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動くな、死ね、甦れ!

カネフスキー監督の 「動くな、死ね、甦れ!」をこの間、と言っても結構前だけれど、観た。もう、凄く。すごく衝撃を受けたので、その勢いで感想を書いた。ネタバレしまくってるし、あとで書き直そうと思ってたのだけど、今読み返したら勢いで書きすぎて直しようがない感じだったのでそのままアップ。

思いきり結末に触れているので、今後観る予定のある方は読まないが吉。



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もう森へなんか行かない、と森ガールは言った

・原宿VACANTに「パンドラの匣」のイベントに行った、VACANTすてき。
・「京マチ子の夜」のPV初めて見た、あんなのだったのね
・冨永監督は映画畑の人だからテクニカルにああいうPVを作ってるんだとばかり思ってたのに、素でPVが何なのかよくわかっていなかったという話
・冨永監督「真部君が僕の作品を気に入ってくれて、それでPVの依頼をしてくれたんですよね」やくしまるさん「…ちがいます」
・冨永監督「地獄先生は女医かなと思って。というか看護婦だとパンドラの助手さんの衣装がそのまま使えるなと思って」
・やくしまるえつこの「Fly Me To the Moon」にきゅんとする。


・今年の太宰祭に伴う映画化作品は全部見る予定だけど、もうこれ以上がっかりさせないでほしい…。
・私は菊地さんの唄が好きなので「愛のテーマ」だけiTMSで買いました。
・太宰の「パンドラの匣」と吉行淳之介の「漂う部屋」はどっちも結核の療養所が舞台で死と隣り合わせのユーモア、なんだけど作家性の違いが著しく比べて読むとおもしろい。太宰は素直なひとだ、と思う。


・さっきハーモニー・コリンの新作トレイラー見たら具合悪くなった。


PEANUTS!

でつ
脈絡もなくスヌーピーについて熱く語りたい。
子供のころ何回も見てたスヌーピーのビデオをyoutubeで発見したの。映画版のやつ。
ちょうなつかしい。
BGMの音楽とかも意外と覚えてて面白い。サントラ欲しいけどないみたい。
わたし幼少期の記憶がおそろしくないのだけど、ワンシーンだけで、あるいはBGMのワンフレーズだけで埋もれかけの記憶が刺激される感覚はなんだかおもしろいなー。
そうして忘れているように見えて何かのトリガーで引っ張り出される記憶というのはたくさんあるのだろうなー。

リスニングの勉強に…なるかどうかは謎だけどいま見ても普通におもしろい。
スヌーピーかわいい。ていうかスヌーピーかわいい。


Snoopy Come Home
 (帰っておいで、スヌーピー)
スヌーピーが家出する話。名作。
「犬お断り」の看板にイライラするスヌーピー、のエピソードがラストにきいている。
 


Bon Voyage, Charlie Brown (and Don't Come Back!)
(スヌーピーとチャーリーブラウン ヨーロッパの旅)
チャーリーブラウンたちが交換留学でフランスに行く。
こどものころのわたしはフランスに行くまでの飛行機と空港のところがわくわくして大好きでしたよって。
 
Bon Voyage, Charlie Brown2 http://www.youtube.com/watch?v=fWxKDCLDe1s
Bon Voyage, Charlie Brown3 http://www.youtube.com/watch?v=KNQXtAp1OGI
Bon Voyage, Charlie Brown4 http://www.youtube.com/watch?v=7P2uYb9nhDU
Bon Voyage, Charlie Brown5 http://www.youtube.com/watch?v=UqlJ-uiNEhI
Bon Voyage, Charlie Brown6 http://www.youtube.com/watch?v=yHHUaJYXtjg
Bon Voyage, Charlie Brown7 http://www.youtube.com/watch?v=AQwc8pZTJqA
Bon Voyage, Charlie Brown8 http://www.youtube.com/watch?v=iz_Ne3l8MJE 


ポニョmeets夏目漱石

「崖の上のポニョ」を取り巻くいくつかの言説のうちのひとつに、

「実はみんな洪水で死んでました」説みたいなものがある。

トンネルの向こうはあの世、というやつ。

 

最初にポニョを見た時の感想はこちらのエントリで(かなり混沌とした感想ですが)、上記の説はとても都市伝説的というか、眉唾だった。しかし宮崎監督はじめ関係者のコメントを読んだり、神話のモチーフについてきちんと知ったりするうちに、なるほどなるほど、と。

 

そして先日、部屋を整理していたら、前期に受けた夏目漱石論のレジュメが出てきた。ぼんやりとそれを眺めていたら、「死んでました」説も間違いではないのかな、という思いが一層強くなった。宮崎駿が夏目漱石の作品に影響を受けて「崖の上のポニョ」を制作した、漱石のエッセンスがポニョにも反映されている、という前提がきちんと存在するのであればだけど。前のエントリを書いた時は、「漱石?どこに影響が?ポカーン」みたいな感じだったけど、よくよく考えてみると夏目漱石の作品世界と「崖の上のポニョ」には相関性がある。漱石にもジブリにもそんなに詳しいわけじゃないけど、思いついたことをまとめ。

 

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夏目漱石と崖の上のポニョにおける'愛'

まず、前提として、夏目漱石という人の生い立ちについて。彼は愛情に恵まれず育った人です。詳しくは割愛http://ja.wikipedia.org/wiki/夏目漱石

このことは、彼のアイデンティティに深く影響しているし、彼のいくつかの作品にも投影されていると思う。

絶対的な愛情、「母なるもの」への渇望、憧憬。そして同時に、愛情への恐れ。人間というものを、本質的に信じられない。恋愛沙汰への臆病さ、怯え。コインの裏表みたいな葛藤がある。


で、漱石と宮崎駿の決定的な違いは。夏目漱石という人が抱えていたその葛藤を、宮崎駿はスパーンと飛び越えちゃったんじゃないかな。もちろんポジティブな方に。「愛だよ、愛!僕は人間を、愛を信じるよ!」みたいな。まさに「ポニョ、ソースケ、すきー!」ですよ。漱石の作品には、誘う女性を前にして臆病に怯えて踏み出せない男(=漱石自身でしょうね)という構図がしばしば登場するけれど、それとは極めて対照的に。漱石作品の多くの男たちとは違い、ポニョの宗介は「恐れない」。

そして母なるものへの絶対的な信頼。愛情賛歌。漱石が抱えていたコインの表、陰と陽の「陽」のほうの側面。漱石が本当は心底憧れて欲して渇望していたものを、たぶん宮崎駿も心底憧れて欲している。そして正面から信じてあげてる。ポニョの世界の母は強い。グランマンマーレも、リサも。そして子供に絶対的な愛情を持っていて、包み込む。「坊っちゃん」の清が坊っちゃんを溺愛するように。「母なるもの」はかくあるべき、と。

 

なぜ宗介は「崖の上」に住んでいるのか

夏目漱石の「門」の主人公である宗助は「崖の下の家」に住んでいる。「崖の上のポニョ」の宗介とリサの家は崖の上。なぜ崖の上でなければならなかったか。これも、陳腐な答えだけど、宮崎駿が「人間を信じているから」じゃないかなあ。漱石の「門」に出てくる宗助の崖の下の家は日の当たらない借家。彼は親友から妻を奪って、その罪の意識からそんなところでひっそりと暮らしているわけだけど、この「崖」というのは、宗助夫妻が背負っている罪の意識の象徴だと思う。人間は悲しいもの、不実なもの、女は裏切るもの、恋愛は罪を伴うもの…そういう漱石のエッセンスが「崖」に集約されている、と私は思う。

それを踏まえて宮崎駿は「崖の上」をポニョの舞台に選んだのではないか?そう、まんま、文字通りそれらを乗り越えよう、人間は乗り越えられるという意味で。うろおぼえだけど、リサが「この家はみんなの灯台なのよ、だから明かりを灯しておかなきゃ」みたいなこと言うシーンなかった?それは、やっぱり崖の上の宗介の家は希望の象徴ってことだと思う。人間への、愛への、母親への、女性への、希望の象徴。

 

※ちなみに「崖」のモチーフは他の漱石の作品にも登場する。

「行人」では、 「嘘だと思うならこれから二人で和歌の浦へでも行って浪でも海嘯でも構わない、いっしょに飛び込んで御目にかけましょうか」

「夢十夜」第十夜では、 「此処から飛び込んで御覧なさい」(底の見えない絶壁を前に)

と、女が男に言うわけですよ。この構図。

崖から飛び込むことは漱石の世界では何を意味しているのだろう?女が誘って男が怯んで一歩踏み出せない、という構図は・・・やっぱり恋愛に飛び込むこと、かな。惹かれながらも母に愛されなかった生い立ちから踏み出せない漱石自分自身を描くための装置として崖があるのか。

 

夏目漱石と崖の上のポニョにおける'水'が意味するもの

それから、漱石の「母なるもの」への憧れと関連して。

崖の上のポニョでは海、雨、洪水、川と「水」が主役級のモチーフなわけですが、夏目漱石の世界における「水」について考えてみる。

例えば、「吾輩は猫である」の猫は最後、水がめに落ちて死ぬのはご存知ですか。

ちなみに有名な例の「吾輩は猫である。名前はまだない。」の書き出しの後には「どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。」と続く。

薄暗いじめじめしたところで生まれ、水がめの中で死ぬ。象徴的じゃないですか?

漱石の作品世界では、水って、羊水じゃないのかな、と。生まれて、死んで、また胎児に還るという輪廻。

水の中の死は、生の始まりを象徴しているようでもある。「草枕」に出てくるミレーのオフィーリア。漱石がこの絵画に惹かれたのは、「水の中の死」のモチーフにそういう思いを重ねたからではないか。生きることの苦悩、死への憧れと恐れ、「母なるもの」への憧れと恐れ、胎児に還ることへの憧れ。

こういったものはポニョの世界観にも通じる気がする。もっともあの作品からは「恐れ」の部分が全く感じられないのだが、水の中の死=胎児に還る、母なるもののもとへ帰る、輪廻…宮崎駿もミレーのオフィーリアからひょっとして同じことを考えたのではないか。

「崖」のモチーフも、このこととも関連してるのかも。普通「崖」と言ったら何を思い浮かべる?自殺の名所とか?…そう、崖は「水の中の死」と近い、親しい場所。


※「水の中の死」というモチーフで言うと、漱石の「道草」という作品の中に、池に泳ぐ赤い鯉を捕ろうとするものの、水の中から引っ張るあまりに強い力に怖くなって思わず竿を離す。そして翌日、水面に浮かぶ赤い鯉の死体を見つける…というシーンがある。赤い鯉…なんとなくポニョを連想してしまう。まあこれは勘ぐりすぎかも。ただここでも水の中の死が出てくる、と。

※漱石は出産に強い興味があったようだ、ということも補足しておく。

 

'あっち側'へのトリップ

あと感じたのは、目に見えるものだけが全てではない、という世界観は宮崎駿のものと近いかな。例えば漱石の「倫敦塔」。これは「あっち側」にトリップする話だと私は解釈している。「夢十夜」なんかもこの系譜の作品かと思う。過去とか、幻想世界とか…目に見えないもの。トリップと言うと語弊があるかな、飛び越えるというより本当は初めからすぐそばにあるの。そう、「あっち側」はすぐそばに。ポニョの世界では「あっち側」に妄想や夢だけでは行けなくて手続きが必要なところが神話的ですが。

※ただ漱石の場合の「あっち側」は「俗念を放棄して、しばらくでも塵界を離れた心持になれる」(草枕より)ための純粋な装置という気もする。

 

 「生まれることの悲劇」に苦悩した夏目漱石と「生まれてきてよかった。」ポニョ

全体として、ポニョと漱石は…類似点も多いけど、対照的かな。

先に述べた女性、愛、人間といったものに対するスタンスもそうだし、

漱石が「生まれることの悲劇」に苦悩した作家である一方、

ポニョときたら「生まれてきてよかった。」ですからね。

本当に対照的な、コインの裏表だと思う。

こうして見てみると、崖の上のポニョは夏目漱石に影響されたというよりは、漱石的な人間観に対するアンチテーゼのような。まあ、「神経症の時代」は漱石の頃から始まっていたと言ってもあながち間違いではないでしょうが。とはいえ彼らの世界観には通ずるところもあるし、何よりポニョで描かれているような主題は、漱石自身も憧れていたもの(彼の世界観は強烈な憧れの裏返しにも見える)だろうから…もし夏目漱石が今生きていてこの映画を見たらどう思うだろう?

…宮崎駿みたいな考えの表現者は、ひょっとしたら羨ましく思うかもしれない。

 

「崖の上のポニョは」崖から飛び降りる男(宗介)を描いた映画だ。(ダブルミーニング。)


追記:知らなかったけど、宮崎駿監督の母親は、彼が幼少期に御病気だったのね。幼い頃母親に抱かれなかった、という点で漱石とシンパシーがあったのだろうか。母親に元気に歩いてほしかったから、そして抱いてほしかったからラストのあのシーンがあるわけだ。ひょっとして宮崎さんはもう母親のところへ行きたがっているんじゃないか、という気がした。


関連記事:崖の上のポニョ


崖の上のポニョ

やっと見れた。

アヴァンギャルドすぎて意味が分からないぜ。

宮崎駿くらいの大物になると商業映画であそこまで好き放題できるんだな、とその点に妙に感心してしまった。正直、ジブリじゃなかったらヒットしない…というかそれ以前に企画の段階で却下されそうな映画だ。
だってシュールすぎるもん。

人面魚が海からやってきて、5歳児に恋(?)をして、人間になってその男の子と一緒にいることを望むけれど、でも人面魚は母なる海の女神みたいなのの子供なので、海を離れて陸にいたままだと何かまずくて、月が近付いてきて引力のバランスが崩れて陸は海に沈んで世界は滅びてしまう。大変だ。でも男の子が人面魚と永遠の愛を誓えばOK。ハッピーエンド。唐突なエンドロール。ポーニョポーニョポニョさかなのこー♪

あれ?書いてて思ったけど、こうして見てみると話の筋はそんなにシュールでもないな。
人面魚がヒロインなところはちょっとシュールだけど、話はむしろ古典的な王道パターンな気がする。
身分違いの恋、世界滅亡の危機、でも愛と勇気で世界は救われてハッピーエンド。

なのにあんなに異様な雰囲気を醸し出しているのは、
・舞台設定が現代日本なのにちょくちょく非現実的なシーンがあり、プロットの破綻があること
・世界の破滅と言いながらあの緊張感のなさ
(世界の破滅みたいな大きなテーマの中で日常に自然の中で遊ぶみたいな呑気な5歳児に、自分と目の前のポニョと親くらいしか見えてない=まさに半径3メートルの世界で生きてた子供の頃の目線。この作品はある意味「セカイ系」と言ってもいいと思う)
・何よりヒロインが人面魚。そしてヒーローは5歳児。

あるいは舞台が完全に異世界のファンタジーだったり、ヒロインが綺麗な人魚姫だったら、いくらプロットに破綻があってもあんなにシュールでもないだろうな。でもそれじゃつまらないからやっぱりポニョはあれでいい。

映像の美しさには色々なところで触れられているけれど、画は素晴らしい。確かに。
宮崎駿は単純に海の画が描きたくてそれだけのためにこの映画を作ったんじゃないかと思うほど。
昔うちにディズニーの「ファンタジア」ってビデオがあって、大好きで何回も何回も繰り返し見てたんだけど、ポニョを見てる時に何度かファンタジアを思い出した。

と、思ってたらポニョ公式で宮崎監督がこんなことを言っていた。

宮崎監督は以前「ファンタジア2000」('00)を観たときに、
「惜しい。自分だったらフラミンゴが踊る水面下に沈んだ街を描くのに」と述べたことがあります。

なんだそれ。笑
でも私にはポニョはジブリ版「ファンタジア」のように感じられた。(「話の筋より映像やら音楽に力を入れまくっている映画」を他に知らないからそう思っただけかも)

そういえばポニョは夏目漱石にインスパイアされたらしいみたいなことをちらっと聞いて、その点も少し気になっていたけど、崖の上/下に宗介/宗助という男が住む、以外の共通点は感じられなかった。漱石の世界の崖はもっと暗いものの象徴であるように思う。宮崎監督が感銘を受け、素朴に還ろうと思わせたというミレーのオフィーリアにしても、漱石の作品世界ではもっと仄暗い感情の象徴のように私は思うのだよなあ。漱石自身の水の中での死=胎児に還ることへの憧憬と恐れのイメージ。
単純に漱石が好きでそこから名前を取ったというだけの話なのかな?そうかも。

追記:漱石にインスパイアwされて新しい感想が出てきたのでまとめてみた。



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